写真はどこまで「真実」を語るのか?

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夫が「これ読んでみたら」とある写真集を薦めてくれた。
Think the Earth Projectの『百年の愚行』(ONE HUNDRED YEARS OF IDIOCY)。

「このあいだ、このProjectに関係した人に会ったから、買おうと思っていたんだ」
と私。なんとも奇遇である。

この本は、環境汚染や動物虐待、人権侵害など、20世紀に人類が犯してきた
数々の「愚行」を100枚の写真で振り返るというもの。

原油で汚染された海、油まみれになったペンギン、強制収容所の犠牲者など、
ショッキングで、思わず目を覆いたくなるような写真も多いが、
「直視することで21世紀を考えていく」ことを試みている。
過去を知ることで、今を、未来をどう生きるか考えさせられる一冊だ。

ページをめくりながら、ふと手が止まった。
「日本軍による空襲後の上海」という写真。
爆破された駅の線路に、たった1人の赤ん坊が泣きながら座っている。

この写真、なんか見たことあるぞ・・・。あ、思い出した!
小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言スペシャル 戦争論2』の中で
ヤラセではないかと問題視していた写真だ。

小林よしのりはこう書いている。

そもそも撮影現場の「上海南駅」は国民党軍の軍事用秘密補給駅で
民間人の赤ん坊がいるはずがない
(爆破の)翌日以降 無人になった駅にわざわざ赤ん坊を連れてきて
爆撃直後に見えるよう発煙筒を焚いて撮ったのがこの写真だ!

本当はどうなのだろうか。

日本軍による空襲があり、それにより人々が傷ついたという事実は間違いないだろう。
ただ、その悲しみの様子を強調するために、小林よしのりが言うような「行為」が
おこなわれていたとしたら・・・。

そうした写真は「報道写真」にはなりえない。
「情報操作」に当たると思う。

戦時中の写真は、「プロパガンダ」(政治的意図を持つ宣伝)として使われることが
多い。まったく別の写真に違うキャプション(説明文)がつけられていても
当時の様子を知らない私たちが、それを「事実」かどうか判断するのは
なかなか難しい。

写真はどこまで「真実」を語るのだろうか。