早いもので、7月も終わりですね。
皆さん、いかがお過ごしですか。
さて、大変お待たせしました。
出産のご報告です。
7月14日(木)の12:30に、
3,746グラムの第二子が無事誕生しました。
またまた、男の子です ^^
長男(6歳)は、産まれた時に
4,025グラム、52.8センチの巨大児だったので、
それよりは軽かったのですが、
次男の身長は52センチあるため、
お腹の中で元気に動くと、
足が胃に直撃。正直苦しかったです(泣)。
でも、お腹の中の子が「生きている」
ことが実感できたので、安心でもありました。
次男には、少し口唇裂(こうしんれつ)があります。
口唇裂とは、
くちびるの一部が裂けていることです。
これは妊娠8カ月頃の超音波検査で、
わかりました。
口蓋裂(こうがいれつ:上あごが裂けている状態)が
あるかどうかは、産まれてみないとわからないと
言われていたのですが、ありませんでした。
口唇裂について初めて医師から聞いた時には、
ちょっと動揺したのですが、
夫に話すと「いのちがあればいいよ」と、
にこやかに言ってくれました。
とにかく自分の力で哺乳できれば良いな…と思い、
上手におっぱいを飲んでいるイメージを思い浮かべていたら、
産まれた時から、
うまく舌とあごを使って母乳を吸うことができました。
彼の「生きる力」はすごいです。
生後3カ月頃、体重が6キロぐらいになったら、
手術を行うことになりそうです。
全身麻酔をするので、少し心配ではありますが、
笑顔でいる次男をイメージして、
過ごしたいと思います。
TwitterやFacebook、mixi、携帯・PCメールなど、
出産の応援や励まし、お祝いメッセージを下さった方々、
夫のFacebookに書き込みをして下さった方々、
遅くなりましたが、この場を借りて、
お礼申し上げます。
皆さま、本当に、本当に
ありがとうございました!
☆・★・☆・★・☆・★・☆・★・☆・★・☆・★・☆・★・☆・★
今回の妊娠&出産は、いろいろありました。
改めて、自分なりに振り返ってみたいと思います。
かなり赤裸々に書いているので、
「こうした話題はちょっと苦手…」という方は、
読むのをここまでにしてくださいね ^^;
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★ 子どもを授かるまで
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4年ほど前、未来について瞑想してみると、
私の脇には長男が立っていて、
腕には赤ちゃんを抱いている自分の姿か
何度か思い浮かびました。
そして、3年ほど前から、
「もう一人、子どもが授かると良いなぁ」と
思い始めました。
私が亡くなった後、
息子(長男)に何を残せるかなと考えた時に、
「親から愛されたという記憶(思い出)」
そして、できれば「きょうだい」を残せたら
良いなと思いました。
また、息子から「弟か妹が欲しい」と
言われたことも、きっかけとなりました。
ただ、その一方で、仕事をする上では、
子どもが1人の方が良いかもしれない…
という思いも正直ありました。
だからでしょうか。
1年以上経っても、赤ちゃんは授かりませんでした。
そんな時に、長男がお世話になっていた
桶谷式母乳マッサージの先生から
電話をいただきました。
2009年のお正月を過ぎた頃です。
「2人目は考えている?」と聞かれたので、
「考えてはいるのですが、なかなか授からないんです」
と話すと、真剣に不妊治療を勧められました。
整体には通っていたものの、長男は自然に妊娠したので、
一瞬「えっ?」と思いましたが、
これも一つのご縁。行ってみることにしました。
紹介されたのは「みなとみらい夢クリニック」。
http://www.mm-yumeclinic.com/
不妊治療で有名な「加藤レディスクリニック」の
副院長だった方が開設しています。
検査をしてみると、私の卵巣の機能は
実年齢よりも老化していることがわかりました。━━(゚д゚;)━━!
2回目に通院した時(だったかな?)に、
院長から「もう1回タイミング療法をして
妊娠しなければ、体外受精にいった方が良いのでは」
と勧められたのですが、
夫婦で話し合い、まずは、時々通っている
サンドバスで私の体を温めたり、体に良いものを食べるなど
今できることをしつつ、
「タイミング療法」を
続けてみようということになりました。
タイミング療法というのは、女性の排卵の時期にあわせて、
夫婦生活を持つことです(〃∇〃) 。
しばらくクリニックに通ってみると、
排卵の時期が自分が思っていた時と
少し違うことがわかりました。
ただ、医師の指示通り、
排卵のタイミングに合わせて夫婦生活を持っても、
なかなか赤ちゃんは授かりませんでした。
初めは、生理が来ると、
深くため息をつくことも多かったのですが、
いのちを授かるというのは人知を超えたもの。
「赤ちゃんは、自分で選んで生まれてくる」
という話を何度か読んだり、聞いたりするうちに、
本当にそういうものなんだろうな…と思い始め、
途中からは、流れに身を任せることにしました。
クリニックに通い始めてから11カ月。
2人目の妊娠を考え始めてから、2年ほど経った時に、
新たないのちを授かりました。
妊娠がはっきりわかったのは11月6日。
不思議なことに、母の命日でした。
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★ 妊娠してから
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一人目の妊娠の時に比べ、比較的つわりが軽く、
仕事や家事がやりやすかったのは幸運でした。
長男の時は、常になにか口にしていないと
気持ちが悪くなるという「食べづわり」があり、
しかも「赤いきつね」と「カリカリ梅」以外、
何を食べてもまずく感じられる時期がありました。
今回の妊娠では、味覚が変わるということはなく、
いつも美味しくご飯がいただけました。
ただ、想像していなかった
いろいろなハプニングが起きました。
まず1月には、長男が40度近い熱を出し、
看病していたらうつってしまったようで、
私も発熱するということがありました。
悪寒と頭痛が始まり、38度の発熱。
妊娠中なので薬は飲めず、
嘔吐をし、げっそり痩せました。
ただ、久々に痩せたので、体重計の数字を見て、
ニンマリしていました(笑)。
3月には、夫がNGOの活動でフィリピンへ
行っている時に、自宅の階段からすべり落ちる
ということがありました(キャーーー!)。
しばらく動けなかったので、
息子に枕と毛布を持ってきてもらい、
寝ていたのですが、
そんな時に息子が「お母さん、テレビ見て良い?」
と聞いてきたので、あっけにとられ、
思わず笑ってしまった、なんてこともありました。
その1週間後には、東日本大震災が発生。
東海道線に2時間閉じ込められた後、
線路におろされ、品川駅まで歩きました。
携帯の電源は切れ、
保育園にいる息子とは連絡が取れず…
そのまま徒歩で横浜まで帰ることにしましたが、
最終的には、携帯を貸して下さった
大井消防署にお世話になり、
父に迎えに来てもらいました。
起きた「事象」だけ見ると大変なのですが、
人の本当の優しさに触れることができた
体験だったように思います。
https://oyagitomoko.com/2011/0312_161356.html
そして、妊娠後期に入ってからは、
あまりお通じが良くなく、
トイレでガンバっていたら(笑)、
なんと脱肛してしまうということがありました。
(書いてしまった。ああ、恥ずかしい… ><)
すぐ病院に電話すると、
妊婦にはよくあることらしく、
次の妊婦健診が翌々日ぐらいだったので、
その時に先生に言えば良いと言われました。
こんな経験は初めて。
ニン玉(*)もビックリという感じでした(@0@)。
(*)高野優の赤裸々爆笑ニンプ生活を
描いたマンガ『ニンプの玉手箱』のこと☆
おもしろいですよ~。
そして、手のしびれがはじまり、
最後の最後には、足がむくんで、
ひざから足首までが同じ太さの象足
(魔法使いサリーちゃんのような足)に
なってしまいました(涙)。
「長男の時のように、また妊娠中毒症になったのか…」
と思い、医師に話したら、
「高血圧や尿たんぱくが出ず、むくみだけだったら、
中毒症とは言わないですよ」と言われ、少しホッとしました。
むくみで体重は増えましたが、妊娠前+約11.5キロ。
前回の妊娠では+18.5キロだったので、
自分としては「なかなかの優良妊婦かも」と
ほくそ笑んでいたのでした(^^;)。
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★ 前駆陣痛と出産
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長男もそうでしたが、次男も本当に元気で、
お腹の中で動きまくっていました。
そして、次男もすくすく育ってくれて、
5月、6月の健診では、2週間ぐらい成長が早く、
長男の出産体重(4,025グラム)に
追いつく勢いで成長していたので、
「上のお子さんの体重は超えないようにしましょう。
胎児の大きさによっては、母子の出産時の安全を考え、
計画的に産む(=陣痛促進剤を使う)ことも考えましょう」
という話を医師からされました。
できるだけ自然に、この子のペースで
この世に産まれてきて欲しいなと思い、
お腹の子にゆったり成長してくれるように話しかけました。
すると…本当にそこからは、
ゆっくり大きくなってくれました ^^
6月の中旬ぐらいからは、
ほぼ毎日、前駆陣痛が起きるようなりました。
前駆陣痛とは、陣痛の予行練習みたいなものです。
長男の時もあったのですが、
今回は1カ月ぐらい、そういう状態が続きました。
結構ツラカッタです。
そして、7月1日の夜中から、
5分感覚ぐらいのお腹の張りと鈍痛が始まったので、
その日の早朝に一度入院しました。
が。
陣痛が弱まってしまい、夕方には家に戻ってきました(汗)。
4時頃、息子や夫を起こし、家族で病院へ向かい、
しかも夫は会社を休んでくれたので、
何だか申し訳ない気持ちで一杯でした。
「他の人に迷惑をかけてしまうし、経済的にも
もうフライング入院はできないぞ~」
と思い、様子を見る日が続きました。
結構、強い痛みが来る時もありましたが、
陣痛の波は続きませんでした。
「早く産まれるかも」と言われながら、
予定日を過ぎても、産まれる気配はなく……(涙)。
夫の泊まりの仕事が始まる&家族の立会を希望していたので、
何とか7月10日(日)に産まれないかと祈ったのですが、
ビクともしませんでした(笑)。
そして、11(月)の健診の日を迎えました。
「このまま陣痛が来なければ、
13(水)に入院して、夕方から風船を使った
誘導分娩を行い、それでも産まれなければ、
14(木)の朝から陣痛促進剤を使いましょう」
と医師から言われ、
13日の午後に、予定通り入院することになりました。
実は、長男の時に陣痛促進剤を使ったのですが、
想像を絶するような人工的な痛み
(マグマが体の中で噴火する感じ?)が来るだけで、
子宮口はほとんど開かず。
「二度と、促進剤を使った出産はしたくない」と
思っていたので、正直恐怖でした。
14時頃、病棟へ。
16時少し前に、風船(メトロイリンテル)を子宮口に挿入。
17時を少し過ぎると、軽い陣痛が始まりました。
トイレへ行くと、「お股」にものすごい激痛が。
「ギャー」と叫んで、ナースコールを押し、
「ま、またが痛いんです」と伝え、
助産師さんに見てもらうと、
風船から出ているチューブの末端部分が、
尿道に突き刺さっていました。
もう、まるでマンガのようです(笑)。
その後、夫と息子も来て、見守ってくれている中、
陣痛が来たのですが、またもや途中から弱まってしまい、
21時頃には、帰ってもらうことにしました。
22時近くに、おしるし(少量の出血、お産を知らせるサイン)
があり、いよいよだな…と心づもりをしました
その夜は窓から見える月がとても美しく、
月のパワーを感じたのを、今でもはっきりと覚えています。
翌朝――。
5時少し前から、胎児の心拍とお腹の張りを調べる
NST(ノンストレステスト)を始め、
6時には、促進剤の内服薬を飲みました。
1時間ごとに、あと2回飲む予定でしたが、
薬が効きすぎてしまい…
急激な痛みが来て、そのまま続いたので、
我慢しながら、痛みをのがす呼吸をしていたら、
ものすごい勢いで医師と助産師さんが部屋に入ってきて、
私に酸素マスクをつけ、子宮口の風船を外し、
腕にいつでも点滴できるよう準備を始めました。
一体何が起こったかわからなかったのですが、
痛みが落ち着いたところで、助産師さんに聞いてみると、
「陣痛は1分以上は続かないのだけど、
今、5分ぐらい強い陣痛とお腹の張りが続いていたんです。
このような状態が続くと、胎児に酸素が行かなくなるんです」
と言われ、ヒヤッとしました。
9時まで様子を見た後、担当の医師が来て、
子宮口をチェックすると、開きはまだ3センチぐらいでした。
「では、陣痛促進剤を使いましょう。朝食はなしで、
水も飲まないように。もしそれでもお産が進まなければ、
帝王切開になるかもしれませんが、ダンナさんとは連絡付きますか?」
と言われたので、「仕事の関係で、もしかしたら
昼間は連絡がつかないかもしれません」と答えると、
「では、他の方で」と言われたので、
「父の携帯へ連絡して欲しい」と伝えました。
経膣分娩が予定通りいかず、緊急帝王切開になる場合、
家族の同意が必要なようです。
またまたお腹の子に話しかけてみました。
「帝王切開をする前に、産まれてくれるかな?」と。
その願いは、ちゃんと通じました。 ^^
9時から、陣痛促進剤の点滴を始めました。
まずは10ミリリットルから。
30分ごとに、10ミリリットルずつ増やしていきます。
朝食も食べていないため、水分を補給する点滴も始め、
体が管だらけです。
40ミリリットルぐらいで、あまりの痛みで、
痛みをのがす呼吸がうまくできなくなり、
60ミリリットルの点滴が始まってからは、
もう我慢できなくなり、「絶叫」という名の
ジェットコースターに乗っている感じでした。
そんな中で、助産師さんたちに「手を握って欲しい」と伝えると、
優しく手を握ってくれたり、
腰をさすってくれたり、お尻を押してくれたり
(そうすると一瞬楽になります)、
励ましの声かけをしてくれたり、本当に心強かったです。
すると突然、陣痛室のベッドの上で、
パンッと卵膜が破裂し、赤ちゃんを守ってくれていた
羊水が勢いよく流れ出ました。
破水です。
体の中で巨大な波が起こり、
自分が「海」になったような感覚がありました。
これは感動的な体験でした。
12時過ぎに、歩いて分娩室へ移動。
医師や助産師さんが励ましながら誘導して下さり、
「いきんでいいよ」と言われてからは、
渾身の力を込めて、お腹に力を入れてふんばりました。
7月14日(木)12時30分。
「オギャーー!」と、
赤ちゃんが元気に産声をあげました。
そして、すぐに
カンガルーケアをさせてもらいました。
カンガルーケアとは、出産直後から
母親の胸の上で裸で抱っこすることです。
「SKIN TO SKIN CARE」とも呼ばれます。
長男は、血中の酸素が足りないということで、
すぐに保育器に入ってしまったので、
抱っこできたのは一瞬。
次男はしばらく抱っこできたので
本当に、本当に幸せでした。
家族の立会出産はできず、陣痛促進剤を使ったため、
正直、自分が望んでいたようなお産ではなかったのですが、
このカンガルーケアがあったおかげで、
これまでの苦しさよりも、
やっと出会えた喜びの方が大きく感じました。
後から聞いたのですが、出産時、
次男にはへその緒が2回首に巻きついていたそうで…
やっぱり出産は、いのちを懸けて臨むものなんだと
改めて感じました。
今回の出産は、横浜市立みなと赤十字病院で行いましたが、
担当の医師は、健診の時にいつも丁寧な説明をして下さり、
助産師さんは優しく、この病院を選んで本当に良かったです。
弟誕生に、長男はとても喜んでいます。
ただ、「妹が欲しい。もう一人産んで ^^」
と言われた時には、
「お母さん、もうムリだよ~」と苦笑いしました。
たくさんの方に支えていただきながら、
いのちを授かり、40歳で出産できたことに
心から感謝しています。
皆さま、本当に、本当に
ありがとうございました。
遅くなりましたが、出産のご報告でした。