先日、取材させてもらった記事が新聞に掲載された。
テーマは「農業者の最新結婚事情」。
取材先は、日本青年館結婚相談所・所長の板本洋子さん。
結婚の選択は本来、個人の裁量だが、
農業男性の結婚難は、経営の継承や地域の活性化の観点から見ると
大きな問題のようだ。
実はここ10年くらい、農業や農村に関心を持つ女性は急増しているが、
これまでの価値観や考え方のままでは、結婚難という状況は変わらないという。
一つは、“嫁をもらう”という発想。
その言葉には、結婚相手とパートナーシップを築くという意識が感じられない。
(私も「嫁」「主人」「家内」という言葉が苦手!)
農業を補助的に手伝うのではなく、農業経営にも参画したいという
女性も増えてきているため、これまでのように
「何もしなくて良いから嫁に来い」とか「子どもを産んで欲しい」
という言葉では、女性の心を動かすことはできないそうだ。
(・・・っていうか、そんなこと言われたら、私はドン引きする!)
しかし! 農村でも新しい結婚の形が出てきているという。
たとえば、お互いの生き方を尊重し、
男性は地元で農業をやり、女性は東京で仕事をして「週末婚」をするとか、
長男長女が自分の家や農業を守るために「事実婚」を選択するといった動き。
男女の関係を見直し、多様な生き方を受け入れること。
これは、都会、農村関係なく必要なことだと私は思う。
今回、取材させてもらった板本さんの著書
『追って追われて結婚探し』(新日本出版社)は
読んでいて、共感する部分が非常に多かった。
あとがきの部分を少し引用してみたい。
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誤解を恐れずに言うなら、私の中にいつも「結婚」を薦める立場に
自己矛盾をおこしている自分があった。
「カップル」「夫婦愛」「家族の絆」というくくりで「幸せ」をアドバイスすることは
「多様で主体的な人生の選択」にタガをはめ込んでいくような辛さを感じる。
「結婚」「出産」というおめでたいライフコースへの評価が、ともすれば
女性の生き方を固定化し、男性を責任という名で縛ってしまうのでは
ないかという抵抗も残る(中略)
最近は少子化と関連して未婚化を嘆き結婚を絶対化して
人を追い詰めていく風の強さを感じる。
国家の将来がかかっていることは認識しているが、
それが強いほど、私自身が引いていく。
結婚の選択はどこまでも本人の裁量だ。
国家の思惑が個人の選択権を犯してはならないことは言うまでもないが、
「結婚」を幸せ論、人間の義務論で押していくと、
それが忘れられがちになる危うさを孕んでいる。
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読んでいて面白く、いろいろ考えさせられる本なので、ぜひ一読をおススメします!